「自殺するなら一人で死んでくれ 」
最近、いたましい事件が多く報道されています。
被害者の方、そのご家族、関係者の方には心よりお悔やみを申し上げます。
1日でも早い身体と心の回復をお祈りしております。
また、ネット上でも様々な論争が見られます。
本当に残酷な事件で、許せないと私も思います。
ですが、「自殺するなら一人で死んでくれ 」という言葉に私はハッとしました。
確かに被害者の気持ちを考えると、その発想になるのは誰でもそうでしょう。
私もそうです。
ただ、影響力がある方がこのような言葉を多くの人に言ってしまうのは少し違和感を感じました。
それは、これを聞いた、自己否定が強い方や他者からの否定を受けている人はどう思うのだろうと考えたからです。
言論の自由があるので色々な意見が飛び交う事は自由だと思います。
そこから生まれる事や気付く事も多いと思います。
解ってはいるのですが、どうしても気になりました。
このような論争は様々な思いが交錯します。
受け取る側はその言葉を否定的に捉え、自己投映をして自分を攻撃していると思い込んでしまいます。
新たに攻撃的になる人もいたり、今まで抑えてきたものがフッと解けてしまう事もあるでしょう。
相手が言っている事の真意を熟考するのを怠り、周りの人の心や未来を感じ取る事を辞めてしまっています。
逆に、言っている側も、誰かに迷惑をかけるという行為を否定的に捉え、相手が何故そうしたのかを考える事を怠り、その人の心や過去を感じ取る事を辞めてしまっています。
強い感情を抱く時はその様な思考になる事もあります。
また、それが悪いという訳ではありません。
むしろ正常な反応で、心を守るために必要な事です。
問題はその発し方だと思います。
例えば、過酷なイジメを受け、誰にも助けてもらえないような子供がいます。
友人や先生はもちろん、親でさえその子の力になってあげないという状況です。
その子は耐えるか逃げるかの選択しか出来ません。
耐えてみたものの心が負けて、逃げ出す事にしたのですが、家にも居心地のいい場所はありません。
何とか部屋に引きこもって誰とも話さず、自分の心と必死に戦うしかありませんでした。
皆さんはこのような方を見て否定するでしょうか。
これだけだと、この子を可哀想だと思う方が多いのではないでしょうか。
ですが、ここが問題なんです。
最近の事件の原因は、『このような状況を避ける事や改善することが出来なかった』事ではないでしょうか。
ここ最近の事件が全てそうだとは言いませんが、このような人が闇の中から抜け出せず、いつしか誰かを殺そうという悪意を持つ事で、自分の中のドロドロした感情を浄化しようとする可能性があるのは否めないのではないでしょうか。
もちろん、その悪意に同意する事は出来ません。
ましてや実行に移す事はあってはならないことだと思います。
ですが、原因を突き詰めていくと、その人も何かの被害者だったのかもしれません。
そこまで考えると、「一人で死ね」は極端なのかなと思います。
このような事件をなくすためには、一人一人が論争から目をそらさず、考えて想像する事をやめないことが大切なのではと思います。
最後に、自己否定に苛まれている方へ、
あなたは存在していいし、そのままの自分で大丈夫です。
無理に頑張る必要はありません。人に認められる必要もありません。
失敗しても、逃げ出しても大丈夫です。
それが次のスタートになります。
少しずつ自分を肯定できるようにしていきましょう。