恣意的推論

認知の歪みの種類で恣意的(シイテキ)推論というものが有ります。
恣意とは
自分勝手な、思いつくままの考え。
引用:weblio
の事です。
充分な証拠や理論もなく、思いついたことで想像する認知です。
例えば、サスペンス映画を見ていたとしましょう。
序盤で怪しい素振りを見せた人がいたら、皆さんはどう考えるでしょうか。
恣意的推論の場合、「この素振りは犯人に違いない!」と考え、映画が終わるまでその人が犯人だという証拠を探そうとします。
ですが、序盤に怪しい素振りをしただけの人を犯人と決め付けてしまうのは、証拠不十分ですね。
サスペンス映画の場合は、最後にどんでん返しという具合に問題にはなりませんが、恣意的推論が日常的に出てくる場合は要注意です。
問題は恣意的推論に基いた予測を現実に起こると信じて感情がマイナスになる点です。
例えば、現実に起こりえそうな事象として、上司が挨拶に返事をしてくれなかったとしましょう。
恣意的推論だと
「私は視界に入らない程度の人間なんだ」
「私は嫌われたんだ」
などの推論を現実と思い込んでしまいます。
挨拶に返事をしないという事実が証拠ではありますが、即『嫌われた』『自己否定』となってしまうのは時期尚早です。
上司は大変な悩みを抱えて周りが見えなくなっていただけかもしれません。
上司からすると声が聞こえなかっただけかもしれません。
推論というのはあくまで可能性を考えることです。
100%の答えを出すためにはこの状況では難しいという考えをすることが大事です。
また、推測に捉われてしまうという事も問題です。
不安に思い、想定や準備をする事は良い事ですが、不安に飲み込まれて感情がマイナスになっている場合は発想を変える必要があるでしょう。

恣意的推論をしないようにするには、状況を冷静に観察し、事実に基いた推論をいくつもするということが大切です。
なんか名探偵のようですね。